こんにちは。
わのじ大学の時間がやってきました。
早速授業を始めます。
マスケット銃には命中率が低いという決定的な問題点と、おまけに常に火種を持ち歩いていないといけないという欠点がありました。
つうか欠点だらけなんだけどね。
でも当たれば「威力パねぇ~」だったのですよ。
それを差し引いても、火種を持ち歩くのは正直うざかったと思われます。
しかもシングルハンドで撃たなきゃならないし。
そこで考案されたのが火縄式です。
このタイプは銃と火種が一体型なので、両手で銃を保持することを可能にさせました。
でも当たらないw。
不発も多かったようです。
命中率の問題はやがて改善されてゆきます。
筒の内側にライフリングを刻む事を考えついたのです。
要するに筒の中に螺旋の溝を切り、発射される玉に強制的に回転運動を与えるのです。
ライフリングのお陰で命中率は格段に高まってゆきました。
これがライフル銃の幕開けとなります。
マスケット銃は銃口から火薬と玉を詰めていましたけど、ライフル銃が登場してからは後ろから玉を装填する方法が主流となってゆきます。
ここで特筆するのは雷菅が発明されたこと。
これなくしては薬莢は出来ませんでした。
今まで玉・火薬・火種とバラバラだった物が、雷菅と薬莢のお陰でオールインワンとなったのです。
発明された当時は薬莢は紙製でして、発射と同時に銃の中で燃えていました。
だけど所詮紙なので現場では湿気や乾燥にやられてしまう訳です。
そこで登場したのが金属製の薬莢。
これなら雨や湿気・乾燥した場所でも全くトラブルが起きません。
ただ金属製の薬莢は紙と違って燃えませんから、撃った後に必ず廃莢しないとなんですね。
なのでそう言ったメカニズムを備えたライフル銃が次々と開発されてゆきました。
実際色んなタイプのライフル銃がありますよ。
そうこうしているうちに小型の銃も開発されて、コンパクトながらも殺傷能力が充分な銃が完成されてゆきます。
当初はリボルバー式でしたけど、次第にオートマチック式の銃が人気となります。
球数多いし。
有名な物ではコルトのガバメント。
ベレッタも超有名ですけど、この銃はイタリア製だと初めて知りました。
これらオートマチックの銃も廃莢しないと次の玉が装填されません。
廃莢する時のエネルギーは銃を撃った時のブローバックを利用しています。
これは本当に巧いこと考えたもんですよ。
ライフリングが施されたライフル銃。
雨や湿度に強い薬莢。
この標準スペックでかなり命中率は高くなりました。
さぞ戦場では死傷者が増えただろうね、と人は思うものです。
ところがところが、相変わらず現場での命中率は低かったのですよ。
指揮官も首を捻るばかり。
「っかしいなぁ~」って。
一体なぜなんでしょうか?。
答えは実に単純明快で、要するに皆ちゃんと相手に向かって撃っていないのよ。
中には撃っていない奴もいたし。
どうやら人は戦争という大義名分があっても、なかなか人を撃ち殺す事が出来ないのですね。
南北戦争において実に約8割の兵士が銃を撃たない、もしくは的外れの所へ撃っていたそうです。
第二次世界大戦でもアメリカ兵の約8割りがやはり、敵を前にしながら撃ち切れなかったとの事。
戦争という究極な状況に置かれても、人の倫理観・良心なんかが歯止めを掛けていたのでしょうね。
さて。
銃自体の進化もさることながら、時代と共に火薬も進化してゆきました。
マスケット銃が使われていた頃は黒色火薬で、これは威力が弱くおまけに撃った後の煙が凄かったそうです。
現場では煙の為に視界が遮られてしまったとか。
これじゃあね。
黒色火薬に変わるものとして煙の少ないB火薬が登場して、黒色火薬はその役目を終えます。
やがてB火薬よりも優れた無煙火薬が発明され、B火薬もお役ごめんとなりました。
無煙火薬はニトログリセリン・ニトロセルロース・ニトログアジニンをベースにした火薬です。
ガンガンとニトロ使ってるw。
結局銃や火薬なんかがどんなに良くなっても、実際の現場ではヒューマニズムがその性能のパーセンテージを下げていたと云うのをお伝えしたかった訳です。
捨てたもんじゃないのよ、人間も。
で、終わるお話だったんですけど……。
ところがね、ある銃が開発されてからは話は一転します。
殺傷率を一気に押し上げてしまいました。
その銃は何かと言うと……
機関銃!。
この機関銃は掃射する時にツーマンセルあるいはスリーマンセルで作業をします。
ですから必ずそばで自分の行動を見ている人が存在するのですね。
ですからもし撃たなかったり的外れを意図的にやってしまったら、指揮官や仲間たちにチクられてしまうかも知れません。
そうなるとヒヨった自分が責められてしまうのではないかと思い、相手目掛けてガチで掃射するのです。
戦争は基本的に国と国の戦いの筈ですが、現場では自分の保身の為に戦ってしまったりするのですね。
これもまたヒューマニズムの1つではないでしょうか。
人それぞれの立場の中で常に善悪の天秤が、あちらへと・こちらへと揺れています。
その揺れを止めるのは良くも悪くも己の判断だけなのです。
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終わり。