「情けは人の為ならず」とは言うものの

そうですねぇ。

かれこれ3~4年前になるでしょうか。

まだ独立していた頃の話です。

月に1度の休みが取れなかったので、正直軽く病んでいました。

その影響は今もあります。

まぁそれはいいんですけどね。




ちょうど僕が家具職人になってから20年目の年に、記念として「左久作」という鍛冶屋に組みノミを誂えてもらおうと決めました。

予算は20万円。

たぶん病んでいたので、自分なりにイベントを作って盛り上げたかったのだと思います。

はい。

その昔……と言っても確か平成13か14年位にも、「清忠」という鍛冶屋に直接出向いて組みノミを誂えて貰っています。

技能グランプリに出る時にですね。

本当は作って貰ったばかりの刃物は切れないのであれだったんですけど、おまじないの意味も込めて僕は「清忠」を引っ提げて大会に出ました。




さて左久作で僕は小刀も二本買い取りました。

一本はプレゼント用で、もう一本は自分用です。

細かい話になってしまいますが、本当は一本だけ注文していたのですよ。

でも鍛冶屋って「影打ち」と言って、必ず二本は打つのですね。

一本の注文でも。

もし製作途中でどちらかに不具合が出ても、もう一本の方を依頼主に渡せますから。

ですから一本注文しといて、僕は影打ちの分を引き取りました。

小刀は確か一本二万円でした。

そしてその小刀にプレゼントする人の名前と僕の名前を、タガネで掘って貰う様にお願いしたのです。

その時にプレゼントをする人の名前と僕の名前を紙に書き、左久作さんに手渡したのですね。

僕が書いた文字を左久作さんは一瞥してから「若葉椰子さん。書道やってた?」と聞きてきたのです。

あまりの不意打ちに僕は思わず「いいえ」と嘘を付いてしまいました。

左久作さんは「おかしいなぁ」と呟いていました。




僕にとって書道の先生って、とても悪い記憶しかないのですよ。

通っていた書道教室の先生なんですけど。

だから思い出したくないんです。

あと……

小学校の頃に通っていたんですけど、学校でも習字の授業があるじゃないですか。

その時に自分の書いたヤツが「よくできました」で貼り出されたりしてましたけど、僕は自分の毛筆の字がとても嫌いでした。

確かに上手いんですけど、全ての文字がか細いのですよ。

思いきりがない。

もう、ガキの自分が解るくらいに「じょうずに書こう」っていうのが滲み出ている文字でした。

だから何となく書道って僕にとっては鬼門なんですよねぇ。

でも最近はちょっと気になるようになりました。




さて、ノミですけどね。

最初に誂えてもらった「清忠」は、今も職場に置いて使っております。

昔ほどは使用頻度はないですけど。

「清忠」に注文した頃は本当にお金が無かったので、娘の学資保険を取り崩して注文したのですよ。

ですからこれは本当に大切な組みノミ。

絶対に手放せません。

自分への戒めとしても。

そして「左久作」の組みノミですが、現在僕の手元にはありません。

知り合いの家具職人に貸しています。

これに関しては他の親方連中に苦言を頂いています。

「俺がそいつの親方だったら恥ずかしい。何年経っても組みノミ一つ買えない手間しか出してないのかと思われるじゃん」みたいな事を。

確かにね。

親方連中の意見もごもっとも。

でも僕の考えは少し違う所にあって、やはり自分で買った道具と人から預かっている道具って思い入れが異なるかなぁと。

人から預かっている道具はいつまで経っても、所詮は「お客さん」なんだよな。

家族じゃないのよ。

組みノミは買ってからすぐに使える訳ではなく、仕込みに最低1ヶ月は掛かる。

先ずは「冠下げ(かつらさげ)」といって、ノミの柄の頭に付いている金物の輪っかを柄尻より少し下げます。

次に輪っかが抜けないように、柄尻を叩き広げる。

そして刃の裏を真っ平らに、尚且つ鏡みたいな状態になるまで研ぎます(裏押し)。

裏押しが済んだら初めて刃を研ぐのです。

仕事をしながらですからね。

それだけの手間隙掛けてるから、当然計り知れない愛着が湧く訳ですよ。

だから職人は他の人に道具を、特に刃物を貸すのを嫌がるんです。

僕の場合一応家具木工を生徒相手に教えていたから、その辺のハードルが少し低いんだと思います。

思いますが……。

まぁ、折りをみて返却してもらった方が、そいつの為にも良い事なのかも知れませんね。