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自分の話も遠くなっちゃった

古地図で思い出したんだけど、その昔の地図だと日本はメッチャはじっこに位置してます。

なんたって極東!。

その地理的なせいあってかイギリスやスペインに侵略されなかったとか。

でも江戸時代になると海外から人が結構来るようになりましたよね。

ペリーなんて有名人だし。

そんな中でこの人も有名人です。


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カッパ禿げことフランシスコ=ザビエル。

実は禿げではなくこういうヘアーカットだったんですよね。

この人はキリスト教の宣教師として日本に来たらしいけど、いやいやどうして我らのご先祖様のトンチに負けてしまっていたっぽいのです。

以下はネットからのソースです。

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日本の各地でザビエルは布教するのですが、出会った日本人が彼に決まって尋ねた事があります。
それは、「そんなにありがたい教えが、なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。

そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、今どこでどうしているのか」ということだった。
つまり、自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・
当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけた。

元来、キリスト教においては、洗礼を受けてない人は皆地獄ですから、ザビエルもそう答えました。
すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」

ザビエルは困ってしまいまして、本国への手紙に次のように書きました。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」と。
当時の中国にも、韓国にも、インドシナにもこうしたキリスト教の急所(?)を突くような人間はいなかったわけです。

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やるね、ご先祖様たち。

軽く論破してます。

とんち問答はまだ続きます。

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この他にも、『もし神様が天地万物を造ったというなら、なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』などと質問され答えに窮していたようです。

ザビエルは、1549年に日本に来て、2年後の1551年に帰国しますが、日本を去った後、イエズス会の同僚との往復書簡の中で「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。

集団原理の中で生きてきた日本人にとって、魂の救済という答えは個人課題ではなく先祖から子孫に繋がっていくみんなの課題であったはず。
「信じるものは救われる」=「信じない者は地獄行き」 といった、答えを個人の観念のみに帰結させてしまうキリスト教の欺瞞に、当時の日本人は本能的に気づき、ザビエルが答えに窮するような質問をぶつけたのではないでしょうか。

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そもそも日本は仏教がありましたし、しかも日本の仏教大乗仏教

例えば僕がお釈迦様に祈ったとしたら、僕だけではなく全ての人がみな救われるという考えなんですよ。

ですからご先祖様たちは個人救済原理のキリスト教に対して、素直な気持ちで疑問が生じたのではないでしょうか?。

人は最初に見たもの感じたものが基準になりますから、後発の物に対して大なり小なり抵抗を感じるものです。

ましてや宗教となりますと、尚更難しいものですよね。